対立構造の中で見え無くなるものセッションの序盤、Aさんの言葉には“苛立ち”が入り混じっていました。「こっちは妥協しているのに、向こうは譲らない」やりとりの中で、Aさんは少しずつ「自分の正しさ」と「相手の正しさ」がぶつかっていることに気づいていきました。私はシンプルな質問を問いかけました。「仮に、BさんにはBさんなりの“正義”や“意味づけ”があるとしたら、それは何だと思いますか?」その瞬間、Aさんは、しばらく考え込んだあと、ぽつりとこう言いました。「…私はBさんの立場に一度も立とうとしていなかったのかも。あの人はあの人で、何かを守ろうとしていたのかもしれません。」ナラティブ(文脈)を想像する力この言葉には、ただの怒りや悲しみではない、“文脈を理解しようとする視点”が宿っていました。心理学者 Dan P. McAdams は著書 The Stories We Live By(1993)の中でこう述べています。“We are all tellers of tales.”私たちはみな、自分自身の物語を語りながら生きている。つまり、他者の行動にも、その人なりの物語——ナラティブ(文脈)があるのです。そして、そのナラティブを想像しようとすることは、単なる“共感”や“許容”以上の意味を持ちます。例えるなら、映画『ジョーカー(2019)』のようなものかもしれません。この作品は、スーパーヒーロー映画の「悪役」であるジョーカーが、なぜそのような人物になったのかという視点から描かれた物語です。観客は、ただの「悪人」としてジョーカーを断罪するのではなく、その人物が生まれるに至った文脈を知ることになります。そしてそのとき、多くの人が、自分の中にも「"悪"に染まってしまう文脈を理解できる気持ち」があることに気づくわけです。ナラティブを理解することは、他者理解であると同時に自己理解の入り口でもあるのかもしれません。まとめ:対立構造の中にある「人間のストーリー」対立は、外から見るとただの“構造”のように思えるかもしれません。でも、そこには必ず人の感情と文脈があります。「その人には、その人なりの世界の見方があるかもしれない」と気づき、「この人が自分の意見を正当化させるナラティブはなんだろう?」と自分に問いかけること。 そんな想像力こそが、関係性をひらく鍵になるのだと思います。ジョーカーに対してでさえ、完全な「悪」と切り捨てることはできない我々は、きっと大抵の人に対しても、一定の共感を見出せるのではないでしょうか。参考文献McAdams, D. P. (1993). The Stories We Live By: Personal Myths and the Making of the Self. New York: William Morrow & Company.